こんな風に思ってるの、自分だけ??

オッサンの独り言。よしなしごと。

自分らしさとは

ちょっと芸能ネタが続いたので、今日は違う角度の話。

 

最近、若い子(中学生とか高校生ね)が「ポリシー」という言葉を多用しているなーと気付く出来事がありました。

 

具体的には話せないのですが、ある方が高校生を前にお話をして、学生からその感想をもらったら、「○○さんのようにポリシーを持った云々」とか「自分自身のポリシーを持って云々」と、ポリシーという言葉が入ったコメントが多数でてきたのです。

 

どれくらいの理解を持ってその言葉を使ってるのかはよく分からなかったのですが、「俺らしさ」「自分らしさ」的あるいはもう少し「一本筋の通ったなにか」「信条」的な意味で使っているのかなという感じでした。

 

自分らしさ、とはなにか。

 

40年も生きてくると、自分はこういう時にはこういう風に考えるんだなー、であるとか、これに関しては自分はこういうやり方で行く、とか、これまでの経験からもちろん型ができてくると思うんですが、なんか、それって、必ずしも「こうやりたいと思ったからこうやった」というのとは違うような気がするんですよね。

 

たぶん、この高校生の前で講演した方も、別にはじめからそう思ってやったのではなく、むしろ、こういうやり方で行ったら「ウケるよね」っていうノリでやってるわけですよ。

 

高校生なんていう時代は、日々の学生生活を楽しみながら、一方で自分の将来に不安を抱えながら生きているわけですよね。そりゃ、そこそこ大きな決断を迫られる時期が近づいてるわけで、そんな中、自分はどういう風に生きていくか、自分の芯とは何か?と考えるのも当然でしょうね。

 

なんですが、高校生で見えてる世界なんて、小さい小さい。まあ、ネット社会の現代でいえば、すでに普通に世界の人々とコミュニケーションしちゃったり、はてはビジネスしちゃったりしてるようなスーパー高校生もいるわけですが、そんな人はほんとに一握り。これから将来に出会う人の数を考えたら、無数といってもいい。それは影響を受ける人の数が無数である、とも言えます。

 

40を過ぎた今でもたくさんの人に影響を受けます。人間なんてそんなものです。自分らしさ、なんて、あってないようなものなのです。

 

だから考えなくていい、というのではなく、悩まなくてもいい、ということ。だって、そうやって考えること自体が自分を作り上げている一部だから。

 

自分探し、みたいなことをいう人がいますが、本当にそういうのって嫌い。「自分探し」をしている人は「人からこう思われたい自分」をどういう自分にしたいかを迷っている人だと、私は思ってます。探してる場合かよ、なんかしろって思いますね。生き方に正しいも間違いもないんですから。