鬱という言い訳
やる気がおきないことを、「鬱っぽい」などといって甘える傾向があると思うんですね。
鬱にも、弱いものから強いものまで色々なレベルがあるとは思いますし、実際に嫌だなぁ、という気持ちが持続し、強くなっていくことで実際に鬱になってしまう、というケースもあるでしょう。ただ、鬱という言葉を軽々しく言い訳に使ってほしくない、ということです。
私は鬱は精神が弱い人の病気だ、などと微塵も思っていません。自分の友達で、事実鬱に苦しんでいる人がいます。え、この人がこんな風になっちゃうんだ?と本当に驚いてしまうような友達です。だから、自分は鬱なんて嘘だ、などという気は毛頭ありません。
逆に言えば、日本では鬱という病気への認識がとても遅れているようにもみえます。アメリカのように簡単に薬を処方しろ、とは思いませんし、むしろそれは社会問題化しているわけですが、日本では精神論だけで語る人も多く、正しい治療を受けていない人がいるということも問題です。
この病への正しい理解がなされない限り、いつまでも鬱なんていうと言い訳なんじゃないか?と思われてしまうわけです。これはだれにとっても幸せなことではありません。だからこそ、この病の恐ろしさを知らないのに、鬱を言い訳なんかに使わないでほしい、ということです。