感情は大切。さらにその先へ。
初日の記事に、なぜこのブログを始めたのか、なにを書きたいのか、に触れました。
後悔ないように生きるとは。後悔ないように生きるにはどうしたらいいのか。
そして実際のところは、おとといも、昨日も、書いたことはネットで見かけた記事、ニュースについての意見を書きました。なぜか。
情報が溢れる世の中、こうした記事やニュース自体が正しいのか?とちょっと疑ってみること、そして、その裏になにがあるのか?その意味とはなにか?そして、それに対して自分はどう思うのか?なにができるのか?を考えてみること、そういうことが後悔しないための生き方ではないかと思うからです。
俺、ちゃんとニュース読んで、批判とかもしてるよ、って言う人、いると思うんですね。でも、それ、ほんとに的を射た批判になってますか?あなたの怒りをただただぶつけてませんか?
そりゃ人間ですから、感情的にもなります。誰かに言われたことにカチンと来ること、自分にだってありますよ、頻繁に。瞬間的に言い返しちゃうこともあります。(事実、おととい、昨日とニュース記事に噛み付いてるよね、自分)が、よくよくその言葉を噛み締めてみると、それは自分でも本当はそう思っているけどできないというものすごく耳の痛い話だったりするわけです。自分の能力のなさを突かれて、ぐうの音も出ないとかね。
言い返す相手が目の前にいれば、そこでなにかしらのやりとりが発生して、前に進むことがあるかもしれない。でもネットは必ずしもそういうふうにはなっていないですよね。twitterでもfacebookでも、あるいは本来は議論の場として使われることが期待されるブロゴスのようなサイトでさえ、他の人のコメントへの返事がとても乱暴で、その場限りで、一方的になっていることが多くて、とても悲しくなります。
感情は大切。でもそれをただ垂れ流しにするのはだめ。だってそれでは何も変わらない。
iTunes Storeなどでアプリケーションのレビューがありますが、あれも実に見ていて悲しくなるんです。
クソアプリ。
とか
ユーザをなんだと思ってるんだ!
みたいなコメント。
そりゃね、とにかく金稼ぐ目的でアプリを作ってますよっていう会社もあると思いますが、多くの人たちはあなたの生活をもっと便利にしたい!とか、楽しんでもらいたい!と思って作ってるものです(と信じたい)。
そういう人たちに、ただただののしりの言葉を残すのって、どうなんでしょう。心が痛むんですよ、そういうことを言われると。
確かにありますよ、たくさん、クソアプリ。でも、それはそれとして、じゃあ、どこが悪いのか、こうなったらもっと良くなるのにな、頑張って!って言ったらいいじゃないですか。言ったら伝わるかもしれない。というか、言わなかったら伝わらないんです。
俺なんかが××しても、世の中なんか変わらない。
じゃなくて、
俺がこの世界を変えてやる!
と信じて、行動する、いや、ちょっとだけ言い方を変えてみる、それがまず第一歩なんじゃないかなぁ。