こんな風に思ってるの、自分だけ??

オッサンの独り言。よしなしごと。

嫉妬を飛躍のバネにする

嫉み、妬みというものは、自分よりもすぐれた能力を持つ人に対して持つ憎しみの感情だと思うんですが、最近、本当に能力の問題なのかなぁ?と思うことが多いです。
 
 
というのも、人に嫉妬心を抱く人って、だいたいが優等生タイプのような気がするんです。そして嫉妬の対象は、自由に生きてる異端児的な人、それなのに成功してる人。
 
 
要は、俺のほうが本当は能力があるのに、なんでルールに反するようなことをやってるのにあいつが俺よりも偉くなってるんだ!という感情。
 
 
ここにはいくつかの勘違いがあります。これを解いていけば、たぶん余計な嫉妬心を抱くこともなくなるのではないかと思い、その間違いを私なりの解釈で書いてみたいと思います。
 
 
まず、一つ目の勘違い。「ルールに反するようなこと」は本当にルールに反しているのか?
 
 
あなたのルールはとてもとても狭い世界の規則ではないでしょうか。「あなたの部署、あなたの会社ではこういうやり方でやっている」あるいは、もう少し広げればこれが「業界の常識」だ、これが「日本の常識だ」といった感じ。とても一生懸命な人に限って、自分の周りしか見えなくなっているということはよくあります。普段の生活ではそれでよいのかもしれませんが、井の中の蛙になっている自分に気付くことがそこから脱出するための第一歩です。
 
 
まずはあなたの信じるルールを疑ってみること、これが新しい世界を切り拓く鍵だという認識を持つこと、これ重要だと思います。
 
 
そして、二つ目。あいつのほうが偉い、ということ。
 
 
あなたにとって「偉い」とはなんでしょう。会社での役職?社会的な認知度や影響度?はたまた給料の高さ?
 
 
そもそも、会社での役職なんてものは、同じ会社内でなければ比較するのがとても難しいことです。大会社の社長と毎工場の工場長。仕事の範囲も、実際の内容も、責任もそれぞれ全く違いますが、どちらが偉いなんてそう簡単には言えないと思うのです。
 
 
給料の高さなんて、時間であったり、精神的疲労であったり、どれだけの犠牲を払っているかの対価であって、あなたの嫉妬の対象がどれだけの犠牲を払っているかを知ることって、これまた難しいことですよね。同級生だったり、前の職場の同僚であったり、「当時のあの人」は知っているけれど、その人がどんな経験をしてきて、今どんな問題を抱えているのか、相当に親しい仲でない限り本当のことはなかなか分からないものです。
 
 
それよりも、自分がどうなりたいのか、人からどういう風に見られたいのか、という価値観をしっかり持つことのほうがよほど大切なことだと思います。自分は人から尊敬されたいのか?尊敬などいらないけれど大金持ちになりたいのか?あるいは社会的に目立ちたいのか?こういうことは人それぞれの「歓び」であって、人にどうこう言われる筋合いのないことです。確固たる自分を持っていさえすれば、人をむやみやたらにねたんだりすることなく、自分の理想像により近づくための方法を考えることに集中できるはずです。
 
 
そして最後に、三つ目。その嫉妬心、あなたにどういう影響を与えますか?
 
 
嫉妬するからには、今に見てろ、自分も追いついてやる、となるのか、あるいは、お前なんかいつか失敗するぞ、となるのか。私が嫉妬という言葉の嫌いなところは、とてもネガティブな響きがしてしまうところです。
 
 
嫉妬がただの羨みでなく、自分を変えるためのきっかけとなるのなら、こんなにいい話はありません。そのためには、二つ目のポイントであるところの自分の価値観を確立して、一つ目のポイントで枠組みを捉え直してみること、そこに自分が成長する芽があるのではないかと思います。
 
 
なんか余計なお世話な話ですが、自分の心を見つめ直す一つの話として。